渋谷簡易裁判所 昭和52年(ろ)93号 判決 1978年6月09日
本籍 名古屋市港区南陽町大字福田字七春七四番地
住居 名古屋市北区尾上町一ノ二 公団アパート七ノ二〇七号
元裁判官 鬼頭史郎
昭和九年一月六日生
右の者に対する軽犯罪法違反被告事件につき当裁判所は検察官吉永祐介、秋田清夫、堀内敏公判出席のうえ、審理を遂げ次のとおり判決する。
主文
被告人を拘留二九日に処する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、検事総長でないのに、昭和五一年八月四日午後一一時ころ東京都渋谷区南平台町一八番二〇号当時内閣総理大臣であった三木武夫方に電話をかけ、同人に対し、検事総長の布施であると称して、いわゆるロッキード事件に関連して外国為替及び外国貿易管理法違反により勾留中の前内閣総理大臣田中角榮の処分等について直接裁断を仰ぎたい旨申し向けるなどして、検事総長の官職を詐称したものである。
(証拠の標目)
一 被告人の当公判廷における供述
一 被告人の検察官に対する昭和五一年一一月二五日付供述調書
一 被告人の検察官に対する昭和五一年一二月一六日付供述調書
一 被告人の検察官に対する昭和五二年二月二二日付供述調書
一 証人吉田忠志の当公判廷における供述
一 証人三木武夫の当公判廷における供述
一 証人前澤猛の当公判廷における供述
一 第二回公判調書中証人前澤猛の供述部分
一 第三回公判調書中証人前澤猛の供述部分
一 第四回公判調書中証人前澤猛に対する証人尋問調書(一)および同(二)中の各供述部分
一 証人永井順國の当公判廷における供述
一 押収にかかるカセットテープ一巻(昭和五二年押第二号の一「昭和五二年渋谷区領第一九七号符一三九号」の原本)
一 押収にかかるカセットテープ一巻(昭和五二年押第二号の八「昭和五二年渋谷区領第一九七号符一四七号」)
(被告人の主張等に対する判断)
一 当裁判所に本件につき土地管轄がないとの主張について。
本件公訴事実は、被告人と当時の内閣総理大臣三木武夫との間になされた電話による会話の内容に、被告人による官職詐称の行為があったとするものであるが、当初なされた被告人による管轄違の申立に対しては、既に第二回公判において棄却決定がなされたことは、第二回公判調書の記載に照らし明らかである。しかるに被告人はその後における公判審理の結果に基づいて、さらに管轄違の申立をなし、本件における犯罪地は官職詐称の行為地即ち電話をかけた場所だけが犯罪地である。しかるに電話をかけた場所が明らかでないのであるから、犯罪地は不明であり、電話をかけた場所が渋谷簡易裁判所の管轄区域内にあることが明らかでない以上、同裁判所には土地管轄がないと主張する。而して公判における証拠調の結果に徴してみても、被告人が当時の内閣総理大臣三木武夫の私邸に電話をかけた場所がいずこであるか判明するに至らなかった。しかしながら判示のような電話による会話の内容が罪となる事実を構成する場合には、電話をかけた場所ばかりでなく、その電話を受けて電話による応待のなされた場所もまた犯罪地と解すべきであるから、当裁判所の管轄区域内に判示のように電話による応待の現実になされた三木武夫の自宅が存する以上、渋谷簡易裁判所に土地管轄の存することは明瞭であって、当裁判所に本件につき土地管轄がないとの主張は理由がない。
一 犯罪地が管轄区域内に存しないことを理由とする公訴棄却の申立について。
被告人は電話をかけた場所が不明であって、渋谷簡易裁判所の管轄区域内において行なわれたという事実が証明されない以上、管轄権がないのであるから、管轄違の申立と同一の理由により公訴棄却の裁判を求めるというのであるが、前示のごとく管轄違の申立の理由がないことについて判示したところと同一の理由により右の申立もまたその理由なきものといわなければならない。
一 本件起訴状が渋谷簡易裁判所に公訴を提起する権限のない検察官によって作成され、かつ公訴の提起がなされたもので、公訴権の濫用であるから公訴を棄却すべきであるとの主張について。
本件記録について検討するに、本件起訴状には起訴検察官として渋谷区検察庁検察官事務取扱検事として吉永祐介の署名押印があり、起訴状の日付は昭和五二年三月一八日と記載され、また同日渋谷簡易裁判所に受付けられた旨の受付印が押捺されている。そして第一回公判において吉永検察官は、起訴検事が渋谷区検察庁検察官事務取扱を命じられた日は、昭和五二年三月一五日であると釈明したことは、第一回公判調書の記載に徴し明らかである。
而して、本件記録に基づき検討を加えてみても、本件公訴提起の日に吉永検察官が渋谷区検察庁検察官事務取扱検事でなかったこと、または、なかったのではないかと疑わしめるような事実は全然存しないばかりでなく、かえって本件公訴の提起とその維持が適法な権限を有する検察官吉永祐介により適法適式になされたものであることが極めて明瞭であって、また何等公訴権の濫用を認め得る事由も存しないから、所論は全くその理由がないといわなければならない。
一 訴因の不特定等を理由とする公訴棄却の申立について。
被告人は公判審理のその後の結果に照らしてみても、訴因の特定に欠くるところがあり、仮に刑事訴訟法上最少限度の要求を充たしているとしても、電話をかけた場所が判明しないのであるから、この点についての反証のあげようがなく、その不可能な反証を被告人に強いることになるから、公訴を棄却すべきであるというのであるが、被告人が当時の内閣総理大臣三木武夫の私邸に電話をかけ、その時の被告人の三木武夫に対する会話の内容が判示のように罪となる事実を構成する場合には、電話を受けた場所が明らかである以上、訴因の特定に欠くるところがなく、また、電話をかけた場所が明らかでないために、被告人の攻撃防禦の方法に事実上不利益な影響があったとしても、刑事訴訟法がそこまで被告人の立場を考慮し、手続上もこれを要求していると解することができないのであるから、訴因の不特定ないし不充分であることを理由とする所論のような公訴棄却の申立は理由がないといわなければならない。
一 本件犯罪の中枢部分であるニセ電話のかけられた日時場所が明らかでない以上、本件公訴の提起とその追行は有罪に達し得る嫌疑が存在しないものであることを理由とする公訴棄却の申立について。
本件起訴状に所論のように日時場所の点について明確を欠くところがあり、公判審理の結果に照らしても、前示のように電話をかけた場所が判明するにいたらなかったのであるが、そうだからといって、この事実をもって直ちに所論のように嫌疑不存在であると即断することも、公訴の提起、追行が法律上許容されないものであると断定することも勿論できないのである。そして本件において訴因が特定されているかどうかは既に判示したとおりであり、有罪に達し得る嫌疑があるか、どうかは公判における実体的審理により明らかにさるべきものである。従って所論は要するに是認しがたき独自の見解に立脚する主張であって採用することはできない。
一 本件公訴の提起とその維持が憲法および刑事訴訟法に違反し、公訴を棄却すべきであるとの主張について。
被告人は、本件公訴の提起は、公序良俗に反する方法により、あるいは、違法な手段により収集、作出された証拠を基礎としており、かつ、その証拠が本件公訴維持の中核部分とされているのであるから、違法な手続そのものが、その後の公訴提起の効力に影響を及ぼし、刑事訴訟法二五六条、憲法三一条、同三五条の諸規定に違反することとなり、結局公訴は棄却さるべきであると主張する。
よって、右の諸点につき本件記録ならびに当公判廷における審理の結果に徴し検討するに、本件公訴の提起およびその維持がその規定に違反してなされた違法かつ無効のものであると認むべき何等の事由もこれを認めることができない。また、公訴提起前の段階において、仮に証拠の収集等に所論のような違法違憲の点があったとしても、公訴提起の手続が、前示のように、適法適式に行なわれている以上、その公訴提起自体の適否に影響を及ぼすものではないばかりでなく、所論のように公序良俗に反し、または違法な手段により収集作出されたものであるかどうかは、必要な限度において公判の審理により明らかにさるべき問題であるところ、公判審理の結果に徴し、所論のような違法違憲のため無効であると認むべき廉は存しなく、本件公訴の提起が適法適式に行なわれたものであること前示のように明白であるから、所論は理由がないといわなければならない。
一 本件公訴の提起とその追行が著しく実質的正義に反し、大義名分に欠けるとの主張について。
被告人は、本件公訴の提起が検察官の事実誤認に基づき、ニセ電話事件の犯人でない被告人をその犯人であるとするもので、その大前提において著しく正義に反するものであり、また、その訴追手続の運営を考察するに、現職内閣総理大臣三木武夫の刑事事件捜査に対する違法な介入、本件における中核的証人である前澤猛の当公判廷における偽証や録音テープについての証拠偽造というような、本件公訴事実より比較にならぬ重大な刑法上の犯罪が行なわれているのに、検察官はその刑事責任を不問に付し、これを追及すべき職責を放棄し、かえって、その違法性、責任性において、これより遙かに軽微な警察取締的な形式犯たる本件につき事を構え、公訴を提起推進していることは、実質的正義を欠如し、刑事責任を追及すべき大義名分が存しないと主張する。
しかし、本件公訴事実は、被告人が検事総長布施健の官職を詐称して、現職内閣総理大臣三木武夫の私邸に電話をかけ、同人と会話をかわし、問答をしたというのであって、結局このニセ電話事件の犯人が被告人であるのかどうかが、本件における公判審理の中心的課題となったわけであるが、当裁判所が罪となるべき事実として認定判示したように、本件ニセ電話事件の犯人が被告人であることは証拠上極めて明白であって、所論中この事実認定と全く相容れない、被告人がニセ電話事件の犯人でないとする詭弁的仮定の事実を前提として本件公訴の提起が実質的正義を欠如し、大義名分が存しないという主張はその立論の基礎となり、前提とされた事実関係について肯認できないところであるから、被告人のこの点に関する主張は理由がないといわなければならない。
被告人はさらに、当時の内閣総理大臣三木武夫がロッキード事件の犯罪捜査に違法に介入し、また証人三木武夫、同前澤猛は当公判廷において宣誓のうえなした証言中に偽証があったと強調し、前澤猛はその他にも証拠を偽造した等と指摘非難しているのであるが、当公判廷における審理の結果に徴すれば、被告人主張の以上の各事実については、これを認め得るような事情乃至そのような疑惑をいだかせ得るような事情は毫も存しないのみならず、元来被告人の所為の違法性、責任性の存否は、被告人の所為の主観的、客観的事実関係を基礎として総合的に判断さるべきものであり、また、被告人が判示所為についてその刑事責任が追及、訴追さるべきであるかどうかは、検察官の専権に属するところであって、裁判所はこの点につき何等介入し得る権限を有せず、ただ不起訴に関し、例外的に、裁判上の準起訴手続、および検察審査会の制度が設けられているにすぎないのであるから、所論はいかなる見地から考察するも理由がないといわなければならない。
一 いわゆる公判期日の指定につき、強行日程の押しつけにより、被告人の裁判を受ける権利が侵害され、併せて、資格ある弁護人を依頼することができなくなったために、憲法の保障する資格ある弁護人を依頼する権利が侵害されたとの主張について。
本件は簡易裁判所における軽犯罪法違反事件であり、その事件の内容も決して複雑な大規模なものではない。しかも、被告人の立場等を考慮し、社会常識乃至訴訟上の常識から見ても後記のように余裕のある公判期日の指定がなされたことは記録上明白であって、所論のように強行日程の押付けにより裁判を受ける権利が侵害されたとの主張は全く根拠のないものといわなければならない。
また、強行日程により資格ある弁護人を付することができず、憲法で保護する資格ある弁護人を依頼する権利が侵害されたかどうかについて検討するに、
被告人に対する起訴状謄本および弁護人選任に関する通知書が昭和五二年三月一九日名古屋の被告人方に送達され、同月二三日被告人より渋谷簡易裁判所に対し、自分の方で弁護人を選任する旨回答し、同年三月三〇日被告人と佐賀義人、大谷季義両弁護人の連署にかかる弁護人選任届が、翌三一日被告人と中元紘一郎、荒川良三、長谷川正之三弁護人の連署にかかる弁護人選任届が、次いで翌四月一一日佐賀弁護人を主任弁護人とする主任弁護人届が裁判所に提出されたこと、
同年四月九日裁判官津田正良は検察官および弁護人大谷季義、同長谷川正之、同荒川良三と第一回公判期日前の打ち合せをなし、意見調整のうえ、公判の開廷は月三回とし、第一回は五月六日、第二回以後は、五月二〇日、二六日、六月二日、一〇日、一六日いずれも午後一時としたこと、
同裁判官は四月九日、先に指定した四月一四日午後一時の公判期日を五月六日午後一時に変更する決定をなし、第二回以後の公判期日の指定は四月一一日にする旨を告げ、関係人これを了承したこと、
同裁判官は引き続き、五月六日の第一回公判期日には、起訴状の朗読、訴因に対する認否等より次回公判に取調べるべき証拠決定まで進行する目途で準備するように求め、関係人もこれを了承したこと、
四月二五日裁判官は検察官および弁護人(主任)佐賀義人、弁護人大谷季義と第二回目の打ち合せをなし、話合いのうえ、同裁判官は、五月二六日は午後三時ころで審理を終り、六月二日は証拠調の内容について配慮することにし、六月一六日は同月二一日午後一時とすることにしたこと、
以上の事実が本件記録添付の弁護人選任等に関する各書類および「規則一七八条の一〇による事前打ち合わせの経過」と題する調書二通により認められるところである。
而して、同年五月六日午後一時裁判官津田正良により第一回の公判が開廷され、検察官吉永祐介、同秋田清夫、同堀内敏が出席し、弁護人(主任)佐賀義人、弁護人大谷季義、同荒川良三が出頭したが、裁判官による被告人の人定質問がなされた直後、検察官による起訴状の朗読がなされる直前、右主任弁護人は、第二回公判以後の公判期日指定の取消変更を申請し、この点につき裁判官の見解を直ちに求めると強引に要求し、裁判官が後に見解を述べるとしてその申請を拒否し、第二回以後の公判期日の問題は、この調べが終った段階で見解を述べると答えたが、主任弁護人はこれに応ぜず、裁判官の説得にも耳を傾けず、一方的に裁判所は指定された期日を維持される意見なので、弁護人らは被告人の信託に応え弁護人として防禦活動を尽す責務は不可能と考える。この段階で主任弁護人を含めて本日出頭の弁護人三名は、弁護人を辞任すると述べ、佐賀義人、大谷季義、荒川良三の三弁護人は任意退廷したことが、第一回公判調書の記載により明白である。
なお、弁護人長谷川正之、同中元紘一郎も同五月六日弁護人辞任届をそれぞれ裁判所に提出し、受理された。爾来同年五月二〇日の第二回公判以後約一年を経過した昭和五三年五月一二日の第一七回公判における弁論の終結に至るまで、ついに被告人による弁護人の選任がなされなかったのであるが、その間公判の開廷された日は、昭和五二年五月に二回、六月に二回、七月に一回、九月に三回、一〇月に二回、一一月、一二月、翌五三年一月に各一回、同年二月に二回、三月に一回、五月に一回だけである。これをもって見るに、およそ集中審理の理念からは、相当にかけ離れたものとなっているのであって、これをもって強行日程というのは全く詭弁というのほかはない。また、右に叙述した事情に徴すれば、資格ある弁護人を依頼する被告人の憲法で保障する権利がいささかも侵害されていないことが判るのであって、所論は全く理由がないといわなければならない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は軽犯罪法一条一五号に該当するので、所定刑中拘留刑を選択し、その刑期範囲内において、被告人を拘留二九日に処し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文に従い全部被告人の負担とする。
よって主文のとおり判決する。
(裁判官 高田義文)